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神田のあたりに米軍放出ジャンクを売る露天商のような店が蝟集していたそうで、
それを都だか国だかが秋葉原のガード下に移転させたそうで、電気パーツ屋は最初から秋葉原じゃなかったわけだ。
その既得権があるからガード下の小さな店がやってこれたのだろうね、
浅草仲見世の店と同じで家賃が格安なのだろう。
有楽町駅前の東京交通会館は、あの場所に発生した闇市を東京都が整理して「すし屋横丁」と呼ばれる小さな店が蝟集する飲食街にした後、
東京オリンピックのタイミングで「すし屋横丁」を解体して作ったのだと。
あそこの地下に小さな飲食店が入っているのは「すし屋横丁」の店を収容したからなだとさ。
神田というから、神田駅から秋葉原に露天商が並んでいたのかと思っていたが、
先日、八十過ぎの人から聞いた話では神保町の駿河台交差点の辺り、すずらん通りから神田駅の辺りまでジャンク屋が
並んでいたのだそうで、こういうことは当時を知っている人に教えてもらわんとわからんよなあ。
秋葉原はジャンクパーツ屋街としては新参なんだな。
かつては家電問屋街だったと言ったって、家電製品が一般的になったのは東京オリンピックのあたりからだろうから、
それ以前の秋葉原はやっちゃ場しかなかったのだろう。
秋葉原駅は貨物駅として作られたそうで、3層構造なのは貨物をエレベーターで上下に移動できるから、という理由らしい。
鉄道以前、掘り割りで舟で荷物を運んでいたので、やっちゃ場だったあたりは倉(倉庫)が並ぶ荷物集積場所だったのだと。
そこが貨物駅になったわけだ、街に歴史ありだね。
『黄金餅』という落語で、遺体を大八車で焼場に運ぶ道順をすらすらと述べるくだりがあるけど、
ススキが生えた寂しげな野っぱら「秋葉が原」を通る描写があるよ。
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